悪いことをした人に、「謝りなさい」と、強制するのは人権侵害だ!
「結論から言うと、人権侵害ではありません」というのが、最高裁判所の判決らしい。
しかし、わたくしは、憲法に違反する、人権侵害であるという立場です。
謝罪広告事件(https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/386/057386_hanrei.pdf)というものがありまして、裁判所(国権)が、謝罪を命ずることが、憲法に違反するかが争われた事件が、昭和の時代にありました。有名な判例なので、わたくしも知っているのですが、この判例、納得がいかないのです。まぁいわゆる反対意見があります。
私の反対意見は、裁判官藤田八郎の反対意見のこの部分『心にもない陳謝の念の発露を判決をもつて命ずるがごときことは、まさに憲法一九条の保障する良心の外的自由を侵犯するものであること疑を容れない』と同じなのだろうと思う。
判決文において、補足意見と反対意見に、強制執行があり得るかという点がでてくるが、両者とも、強制執行は適当ではないということを言っているように読める。
結局、強制執行が行われたかどうかは不明である。
最高裁の判決としては、「陳謝」する程度だから、人権侵害ではないと言うような感じなのだろうが、心にも無いことを表明させることは、思想への介入と言わざるをえないというのが、わたしの感覚である。
ちなみに、憲法で保障されている、基本的人権の侵害は、私人間でも間接適用されるということなので、裁判所の判決を肯定するのであれば、個人間でも「あなた謝りなさいよ!」と、謝罪を強制するのは合法ということになるし、「陳謝」の域を超えて、土下座までさせるのは、判決の言い回しからすると、違法ということになろうかと思う。
もちろん、謝ってもらう立場の方からしてみれば、心にも無い「すいませんでした」の一言があれば、すっきりするかもしれないが、「陳謝」であったとしても、心にも無いことを表明させられるのは、人権侵害であろうかと思う。また日本文化的に、とりあえず謝っておけば済むというものがあったりするところもあるのだろうが、疑問がある。
とかく、このくらいの時代の最高裁の判例は、承服しがたいものが、いくつかあったりする。戦後まもないころの審議なので、明治憲法下の感覚での運用が多かったという話も聞く。もし、同じことが起こり、最高裁まで争われたとしたら、また違った判断が下されるのではなかろうかと思う。
もちろん、道義的な問題として、悪いことをしたら謝る。というのは、あたりまえのことである、それはゆるぎない。ただ、それを強制したり、強要するのは、人権侵害なのであろうということを言いたいのである。
最後まで読んでいただいてありがとう。
しかし、わたくしは、憲法に違反する、人権侵害であるという立場です。
謝罪広告事件(https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/386/057386_hanrei.pdf)というものがありまして、裁判所(国権)が、謝罪を命ずることが、憲法に違反するかが争われた事件が、昭和の時代にありました。有名な判例なので、わたくしも知っているのですが、この判例、納得がいかないのです。まぁいわゆる反対意見があります。
私の反対意見は、裁判官藤田八郎の反対意見のこの部分『心にもない陳謝の念の発露を判決をもつて命ずるがごときことは、まさに憲法一九条の保障する良心の外的自由を侵犯するものであること疑を容れない』と同じなのだろうと思う。
判決文において、補足意見と反対意見に、強制執行があり得るかという点がでてくるが、両者とも、強制執行は適当ではないということを言っているように読める。
結局、強制執行が行われたかどうかは不明である。
最高裁の判決としては、「陳謝」する程度だから、人権侵害ではないと言うような感じなのだろうが、心にも無いことを表明させることは、思想への介入と言わざるをえないというのが、わたしの感覚である。
ちなみに、憲法で保障されている、基本的人権の侵害は、私人間でも間接適用されるということなので、裁判所の判決を肯定するのであれば、個人間でも「あなた謝りなさいよ!」と、謝罪を強制するのは合法ということになるし、「陳謝」の域を超えて、土下座までさせるのは、判決の言い回しからすると、違法ということになろうかと思う。
もちろん、謝ってもらう立場の方からしてみれば、心にも無い「すいませんでした」の一言があれば、すっきりするかもしれないが、「陳謝」であったとしても、心にも無いことを表明させられるのは、人権侵害であろうかと思う。また日本文化的に、とりあえず謝っておけば済むというものがあったりするところもあるのだろうが、疑問がある。
とかく、このくらいの時代の最高裁の判例は、承服しがたいものが、いくつかあったりする。戦後まもないころの審議なので、明治憲法下の感覚での運用が多かったという話も聞く。もし、同じことが起こり、最高裁まで争われたとしたら、また違った判断が下されるのではなかろうかと思う。
もちろん、道義的な問題として、悪いことをしたら謝る。というのは、あたりまえのことである、それはゆるぎない。ただ、それを強制したり、強要するのは、人権侵害なのであろうということを言いたいのである。
最後まで読んでいただいてありがとう。
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