空と風と海と、光と闇と、グローバル社会 #keizai #jnsc #seiji #ARIGATO
私たちは、この30年あまりの時代の流れのなかで何を学び、どう歩いていくだろう。
すさまじく進歩するグローバル経済と社会、その変化は、我々に恩恵を与えるだろうか。
社会が恩恵を与えるのではなく、私達が恩恵を受けようとしなければ恩恵はない。
資本主義社会の基本は、労働者層がその労働力を提供して、経営者が労働対価を
支払うことによって成り立つ経済ではあるが、いまの日本は、果たして資本主義経済か?
資本主義経済において成り立つのは、労働力=対価報酬、の構図である。
しかし、今の日本経済は、労働者がその人生を投げ出して労働対価を得ていないだろうか。
人生=対価報酬、の構図になっていないだろうか?本当に、それでいいのか?
最も、グローバル社会の中で時代遅れなのが、日本の芸能界ではないかと思う。
すべてではないかもしれないが、AKB48やジャニーズに色恋沙汰があれば、
彼ら彼女達の生計は成り立つだろうか? おそらく成り立たないであろう。
普通は、パーティーに参加するときには恋人をつれていかないとパーティーで恥をかく、
ジャニーズやAKB48が、恋人を連れて紅白歌合戦といったパーティーに参加できるだろうか。
あれでは、まるでサーカス劇団ではないかと思う。自分の人生を売り物にしている、、、。
ちょっと言い過ぎではないかと言われそうだが、社会人であれば本来は結婚たり、
子供ができたりすれば、ようやく社会人としてデビューしたとされ仕事が増えてくる、
だけれども、芸能界の場合は、独身のままいたほうが仕事が多いみたいだし、
ギャラも良いように見受けられる。 ドリカムより明石家サンマのほうがギャラがいいのだ、
こんな理不尽な世の中、病む芸能人が増えてもしかたないのではないかと感じる。
昭和の高度経済成長をささえてきたサラリーマンの中には、まるで労働党でも
結社しているかのように、なんでもかんでも仕事に例える場合がある、
iPodで音楽を聴いている高校生に、「通学中に、くだらない音楽を聴きやがって、
もし会社のサラリーマンなら通勤中に、そんなことしたら左遷だ。」と怒鳴る。
受験競争で、遊ぶ時間のない彼らが、時間を惜しんでのささやかな楽しみまで、
とりあげて何になるというのか。グレて、援助交際に走る青少年の気持ちもわかる、、。
いけないことではあるが、彼ら青少年だけが悪いわけではない、、、。
人が、人であるに相応しい日常を望んでも、日本経済は、その日常を犠牲にしなければ、
生きていけない状況におかれつつある。そして、それを美徳としている人達までいる。
本当に、それが資本主義経済なのか?ドラマや映画にでてくるコントではないか。
本当に、こんな世の中でいいのか、、、。
最近は、子供の事件が多い。イジメや少年犯罪も悪質化している。
しかし、それは本当に、その子供達だけが悪いのか??
すくなくとも、10歳もしくは14歳までの少年少女が勝手にそんなことを思いつくだろうか?
誰かが教えなければそんなことをするはずがない。
もしくは、そんなことをしてはいけないと教えていないことが間違っている。
子供の学習能力はすさまじい、好奇心も強い。教育とは簡単な仕事ではない、
たとえば、万引きをしてはいけませんよと、単純に教えても、
子供は、万引きという行為に興味をもつ、実際に万引きに走ってしまう子供もいる。
もしくは、そんな万引きという不正行為をやっている子供がいるのであれば、
そんな不正はズルイ、不正をしたほうが儲かるじゃないかと不満をもち、
みんなやってるんだから、自分もやらないと損だと、犯罪行為に走る場合だってある。
誰だって、子供の時代はあったはずだ、子供がどういう影響をうけるとどうなるか、
絶対ではなくとも、だいたいは想像がつくはずだ。 だから、大人の責任ではないのか。
どんなに高度な法制度を構築しても、どんなに厳しい規制を用いたとしても、
最終的には、その社会に暮らす人々のモラルがなければ、法であろうがなんであろうが、
まったくの効果をもたない。なんのモラルもない社会で、警察に110番したとして、
モラルの低い警官が「そんなの知るか」と電話を切ったら、おしまいなのである。
だからといって、警官だからモラルを守ってあたりまえというのではなく、
「110番に応じてくれてありがとう。」この気持ちを私達は忘れてはいけないのである。
たとえば、私が女性とデートするときに、ランチに誘ったり、ディナーに誘ったり、
時には、お酒を一緒に飲んだりして、お酒に女性が酔えばタクシーで家に送りとどけたり、
そういうことをモラルとしてやるだろう。ランチやディナー中も会話を選ぶ。
それでも、女性側にもモラルが必要だと考える。
「楽しいランチをありがとう。」だとか、「美味しいディナーの時間をありがとう。」、
そういう態度や言葉を示してもらって始めて、男のモラルが成り立つと考える。
ちょっと旅行に行くときに車や飛行機のチケットを用意して紳士的に振舞っても
「あたいにそれくらいしても当然よ、ごくろうさま。よくできた男ね。」という
ような態度を示されたら、その場で車から降ろす。パラシュートで飛行機から降りてもらう。
かもしれない。
電車で痴漢をしたら罰せられる。痴漢は、とっ捕まえてもらってかまわないのだが、
しかし、守られる女性側も。痴漢を捕まえてくれてありがとう、
男らしく生きてくれてありがとう。と、いう気持ちを忘れないでいただきたい。
「っは?あんたたち男なんて女の下僕なんだから、男は女を守って当然なんだからね。」
なんて、本気で思っている女性がいたら、こっちもさすがにモラルが下がる。
そんな女性であっても守りぬいてくれるのは、山本太郎さんくらいではないだろうか、、。
どういう意味かというと、ブレーキのついていないロードバイク自転車が条例等で
禁止されているが、違反しているなら罰を与えないといけないとしても、
条例が整備されて、ちゃんとそのルールを守ってブレーキをつけた合法ロードバイク自転車
に部品をつけかえた人にも、「ちゃんと、安全のためのルールを守ってくれてありがとう。」
と、いう感謝の気持ちで接しなければ、腑に落ちないひとだって出てくると思うのである。
議会制民主主義である。結局は、多数決で決めたルールである法律である。
99対1であろうが、234対116 であろうが、反対意見があって成立する場合が
ほとんどである。納得いってなくても、しぶしぶ法令にしたがってる人もいるんである。
でれば「納得いかんかもしれんけどすまん、けど約束通り多数決のルールを守ってくれて
ありがとう。約束を守ってくれてありがとう。」という気持ちで接っしてみないと。
間違っているだろうか?正しくなくても、間違ってもいない。
すさまじく進歩するグローバル経済と社会、その変化は、我々に恩恵を与えるだろうか。
社会が恩恵を与えるのではなく、私達が恩恵を受けようとしなければ恩恵はない。
資本主義社会の基本は、労働者層がその労働力を提供して、経営者が労働対価を
支払うことによって成り立つ経済ではあるが、いまの日本は、果たして資本主義経済か?
資本主義経済において成り立つのは、労働力=対価報酬、の構図である。
しかし、今の日本経済は、労働者がその人生を投げ出して労働対価を得ていないだろうか。
人生=対価報酬、の構図になっていないだろうか?本当に、それでいいのか?
最も、グローバル社会の中で時代遅れなのが、日本の芸能界ではないかと思う。
すべてではないかもしれないが、AKB48やジャニーズに色恋沙汰があれば、
彼ら彼女達の生計は成り立つだろうか? おそらく成り立たないであろう。
普通は、パーティーに参加するときには恋人をつれていかないとパーティーで恥をかく、
ジャニーズやAKB48が、恋人を連れて紅白歌合戦といったパーティーに参加できるだろうか。
あれでは、まるでサーカス劇団ではないかと思う。自分の人生を売り物にしている、、、。
ちょっと言い過ぎではないかと言われそうだが、社会人であれば本来は結婚たり、
子供ができたりすれば、ようやく社会人としてデビューしたとされ仕事が増えてくる、
だけれども、芸能界の場合は、独身のままいたほうが仕事が多いみたいだし、
ギャラも良いように見受けられる。 ドリカムより明石家サンマのほうがギャラがいいのだ、
こんな理不尽な世の中、病む芸能人が増えてもしかたないのではないかと感じる。
昭和の高度経済成長をささえてきたサラリーマンの中には、まるで労働党でも
結社しているかのように、なんでもかんでも仕事に例える場合がある、
iPodで音楽を聴いている高校生に、「通学中に、くだらない音楽を聴きやがって、
もし会社のサラリーマンなら通勤中に、そんなことしたら左遷だ。」と怒鳴る。
受験競争で、遊ぶ時間のない彼らが、時間を惜しんでのささやかな楽しみまで、
とりあげて何になるというのか。グレて、援助交際に走る青少年の気持ちもわかる、、。
いけないことではあるが、彼ら青少年だけが悪いわけではない、、、。
人が、人であるに相応しい日常を望んでも、日本経済は、その日常を犠牲にしなければ、
生きていけない状況におかれつつある。そして、それを美徳としている人達までいる。
本当に、それが資本主義経済なのか?ドラマや映画にでてくるコントではないか。
本当に、こんな世の中でいいのか、、、。
最近は、子供の事件が多い。イジメや少年犯罪も悪質化している。
しかし、それは本当に、その子供達だけが悪いのか??
すくなくとも、10歳もしくは14歳までの少年少女が勝手にそんなことを思いつくだろうか?
誰かが教えなければそんなことをするはずがない。
もしくは、そんなことをしてはいけないと教えていないことが間違っている。
子供の学習能力はすさまじい、好奇心も強い。教育とは簡単な仕事ではない、
たとえば、万引きをしてはいけませんよと、単純に教えても、
子供は、万引きという行為に興味をもつ、実際に万引きに走ってしまう子供もいる。
もしくは、そんな万引きという不正行為をやっている子供がいるのであれば、
そんな不正はズルイ、不正をしたほうが儲かるじゃないかと不満をもち、
みんなやってるんだから、自分もやらないと損だと、犯罪行為に走る場合だってある。
誰だって、子供の時代はあったはずだ、子供がどういう影響をうけるとどうなるか、
絶対ではなくとも、だいたいは想像がつくはずだ。 だから、大人の責任ではないのか。
どんなに高度な法制度を構築しても、どんなに厳しい規制を用いたとしても、
最終的には、その社会に暮らす人々のモラルがなければ、法であろうがなんであろうが、
まったくの効果をもたない。なんのモラルもない社会で、警察に110番したとして、
モラルの低い警官が「そんなの知るか」と電話を切ったら、おしまいなのである。
だからといって、警官だからモラルを守ってあたりまえというのではなく、
「110番に応じてくれてありがとう。」この気持ちを私達は忘れてはいけないのである。
たとえば、私が女性とデートするときに、ランチに誘ったり、ディナーに誘ったり、
時には、お酒を一緒に飲んだりして、お酒に女性が酔えばタクシーで家に送りとどけたり、
そういうことをモラルとしてやるだろう。ランチやディナー中も会話を選ぶ。
それでも、女性側にもモラルが必要だと考える。
「楽しいランチをありがとう。」だとか、「美味しいディナーの時間をありがとう。」、
そういう態度や言葉を示してもらって始めて、男のモラルが成り立つと考える。
ちょっと旅行に行くときに車や飛行機のチケットを用意して紳士的に振舞っても
「あたいにそれくらいしても当然よ、ごくろうさま。よくできた男ね。」という
ような態度を示されたら、その場で車から降ろす。パラシュートで飛行機から降りてもらう。
かもしれない。
電車で痴漢をしたら罰せられる。痴漢は、とっ捕まえてもらってかまわないのだが、
しかし、守られる女性側も。痴漢を捕まえてくれてありがとう、
男らしく生きてくれてありがとう。と、いう気持ちを忘れないでいただきたい。
「っは?あんたたち男なんて女の下僕なんだから、男は女を守って当然なんだからね。」
なんて、本気で思っている女性がいたら、こっちもさすがにモラルが下がる。
そんな女性であっても守りぬいてくれるのは、山本太郎さんくらいではないだろうか、、。
どういう意味かというと、ブレーキのついていないロードバイク自転車が条例等で
禁止されているが、違反しているなら罰を与えないといけないとしても、
条例が整備されて、ちゃんとそのルールを守ってブレーキをつけた合法ロードバイク自転車
に部品をつけかえた人にも、「ちゃんと、安全のためのルールを守ってくれてありがとう。」
と、いう感謝の気持ちで接しなければ、腑に落ちないひとだって出てくると思うのである。
議会制民主主義である。結局は、多数決で決めたルールである法律である。
99対1であろうが、234対116 であろうが、反対意見があって成立する場合が
ほとんどである。納得いってなくても、しぶしぶ法令にしたがってる人もいるんである。
でれば「納得いかんかもしれんけどすまん、けど約束通り多数決のルールを守ってくれて
ありがとう。約束を守ってくれてありがとう。」という気持ちで接っしてみないと。
間違っているだろうか?正しくなくても、間違ってもいない。
0コメント