失業と職業訓練についてのブロマガ (私は働きたい)

失業した経験から、職業訓練についても合わせて失業と職業訓練についてブロマガを書いています。

このブロマガを書くにあたって 「資本主義」という言葉について、読んでもらうひとに知っておいて欲しい言葉があります。「修正資本主義」という言葉です。

本来の資本主義経済の無計画性に基づくさまざまな弊害を国家が政策的に是正し,福祉国家を目指そうとする思想。資本主義における弊害としての所得分配不平等は,労使の協調と国家の所得再分配政策によって,また失業の増大は完全雇用政策によって,恐慌の発生は経済計画によってそれぞれ是正され,克服されるとする。

という言葉が、コトバリンクで説明されていますが、もう少し細かく知ると


4.修正資本主義 (http://www.geocities.jp/ttovy42195km/newpage41.html)
 ソ連や中国は「資本主義はダメだ!」と言って、資本主義をやめ「社会主義」の道に走っていきましたが、「資本主義は確かに欠点はあるが、ちょっと工夫を加えるだけでまだまだ使っていける」と考えたのが、修正資本主義を主張した経済学者でした。その代表者が『雇用利子および貨幣の一般理論』を著したイギリスの経済学者ケインズでした。

という言葉ということのようです。


といっても、小さな政府を目指す日本において、言われているような「修正資本主義」には向かっていかないにしても、旧来の「資本主義」には欠点があるので、なんらかの形で資本主義には修正を加えなければいけないという結論は出ていることに留意していただきたいと思います。


失業は、個人が生活の糧を失うという恐怖と共に、失業者が増えると税収が落ち込み、国の財政が傾くという恐怖の両方を抱えています。もちろん、景気も悪くなり経済も低迷します。

まぁ、そういう理屈で、日本には雇用保険や、失業対策や雇用政策がいろいろと取られているわけなのですが、失業者が雇用を得る段階で、「一度キャリアや一般的な人生コースから外れた人」つまり「失業した人」を社会は蔑視する傾向があります。こういった風潮は、失業から脱出しようとする労働意欲を殺そうとするようなものであり、語弊はあるにしても、いってみれば、「失業者への差別」は俗世的な風潮として確かに存在するわけであり、その差別は是正していくべきであると考えます。

職業訓練についても、疑問符がつくことがあります。まず、職業訓練を受ける人が「何故失業したのか?」を無視しているところがあると思います。特に行政が制度として行っている職業訓練については、統計や制度の計画という机上の論理でかたずけようとして、職業訓練を受ける人の個別の事情に寄り添った職業訓練がどこまで行われているのかということに疑問があるのです、私が職業訓練をうけているときに、とある女性がチューターに「自分は鬱病なので、就職をしていく時点で不安がある」という悩みを相談しているのを目撃したのですが、チューターは「そんなことは私の知ったことではない、私は医者でもなんでもない」と、自分の仕事ができるだけ軽く済むような論調で、悩みを相談している女性を諦めさせるような回答をしているのを見たことがあります。正直、それを偶然みかけたときに、あまりに理不尽だと感じました。

もちろん、個人の努力は必要だとしても、いままでにとられてきた職業訓練は、「失業者を就職までもっていくことが目的」とするのではなく、制度として職業訓練を受けることができる制度があるから、とりあえず、「失業者が職業訓練を受れるようにすることが目的」という、微妙なところに陥ってしまっているように感じます。

普通に考えれば「働いている人=普通に生活している人」「失業者=困っている人」となるべきものを「働いている人=偉い人」「失業者=怠け者」という、宗教的資本主義思考に陥っている現状を、「失業と職業訓練という枠」を見た時に、想ってしまうところがあります。




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