「保育園落ちた日本死ね」について

「保育園落ちた日本死ね」について

http://com.nicovideo.jp/community/co356062



いろいろと物議をかもしている「保育園落ちた日本死ね」のブログだけれども、あのブログの言う日本死ねは、郷土としての日本を否定する意味ではなく、日本政府の政策を強く批判する文言として使われたと読むのが妥当だと感じる。

国会に、あのブログが題材にされたことに否定的な見解をもつ人もいるようだけれども、まずメディアでブログが報道されたということを前提に、考えを柔軟にもつ必要があると感じる。安倍政権は「一億総活躍社会」「アベノミクスによるデフレ払拭」を掲げ、情報発信を行い、その成果を強く主張しているが、政権が自己評価し成果の度合いを発信するほど実態経済や国民の実感は良くないという部分に着目し、冷戦時代のソ連が低迷している経済を偽って経済は良くなっているというプロパガンダを流して国が崩壊したという歴史を考えれば、プロのジャーナリストとしては倫理的に、政府がプロパガンダ的情報発信をしていると察知すれば、その情報に対するアンチテーゼや正確な情報の確保に尽力しようとすることは、十分に理解できる行為だと考え、テレビなどのメディアに、あのブログが取り上げられたことは意義のあることだと感じる。 ブログの内容が本当かどうか(ブログの筆者が保育園に落ちたかどうか)というのは重要ではなく、実際に待機児童の問題解決が進展していないように感じている人が多いという実態にスポットをあてることが重要なのだと考えるべきだろう。

自民党はもっと情報発信をすべきだとは思う。しかし、意図しない過失であろうとしても、たとえそれが故意でなかったとしても、発信する情報が政治的プロパガンダにならないように、発信する情報の内容については、精査してデリケートに扱う必要があるのだということが表面化した事例が今回のブログ騒動にあるのだと感じた。

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