障害者福祉の過去とコレカラについてのブロマガ
古典人間工学の本を読んだことがある。
その本は、痛烈に心理学を批判していた。
その理由の一つとして、心理学の歴史が
60年ほどにしか満たないというところである。
とうぜん、そうであれば人間工学の
歴史も150年そこらではあるが、
つまり、どのくらいの歴史のある
学問であるかということで、
福祉という学問も200年ほどの
歴史なのかもしれない
その福祉という学問も
ジャンルで枝分かれさせれば、
障害者福祉の歴史は、
福祉全体の歴史に比べれば浅いであろう、
障害者福祉から枝分かれして言えば、
精神障害者の福祉の歴史は
もっと浅いであろうと思われる。
近年の例で言えば、
障害は「克服」するものか「受容」するものかで
大論争になったという程度までしか
障害者福祉の議論は進んでいなかった。
障害と、どのように共存していくかが重要であって、
健常者の視線で障害を害として見下すような
「克服」だの「受容」だのといった言葉での
当事者視点の無い議論が、つい数年前まで行われていたのである。
ようやく、最近になって
「われわれのことを我々抜きで勝手に決めるな!」
(英語: Nothing about us without us!)
という発言が認められ、障害者福祉の意思決定に
障害をもつ当事者が関われるようになった。
そんな当たり前のことが、いままで当たり前に
行われていなかったという歴史が近年である。
実際のところ、いろんな人が
いろんな事を言うので、
文脈や書式が、それ相応に出来上がっていれば、
インチキな説でも、学説として出来上がってしまう。
おそらく、これからの、福祉においては、
哲学や医学といった、なんらかの学術的裏付けや、
実務上の実績、当事者の実体験といった、
そういう根拠のある説以外は淘汰されていくだろう、
たとえば、「鬱は甘え」というような、
なんの根拠もないインチキなデタラメは、
少なくなっていくはずなのだろう。
その本は、痛烈に心理学を批判していた。
その理由の一つとして、心理学の歴史が
60年ほどにしか満たないというところである。
とうぜん、そうであれば人間工学の
歴史も150年そこらではあるが、
つまり、どのくらいの歴史のある
学問であるかということで、
福祉という学問も200年ほどの
歴史なのかもしれない
その福祉という学問も
ジャンルで枝分かれさせれば、
障害者福祉の歴史は、
福祉全体の歴史に比べれば浅いであろう、
障害者福祉から枝分かれして言えば、
精神障害者の福祉の歴史は
もっと浅いであろうと思われる。
近年の例で言えば、
障害は「克服」するものか「受容」するものかで
大論争になったという程度までしか
障害者福祉の議論は進んでいなかった。
障害と、どのように共存していくかが重要であって、
健常者の視線で障害を害として見下すような
「克服」だの「受容」だのといった言葉での
当事者視点の無い議論が、つい数年前まで行われていたのである。
ようやく、最近になって
「われわれのことを我々抜きで勝手に決めるな!」
(英語: Nothing about us without us!)
という発言が認められ、障害者福祉の意思決定に
障害をもつ当事者が関われるようになった。
そんな当たり前のことが、いままで当たり前に
行われていなかったという歴史が近年である。
実際のところ、いろんな人が
いろんな事を言うので、
文脈や書式が、それ相応に出来上がっていれば、
インチキな説でも、学説として出来上がってしまう。
おそらく、これからの、福祉においては、
哲学や医学といった、なんらかの学術的裏付けや、
実務上の実績、当事者の実体験といった、
そういう根拠のある説以外は淘汰されていくだろう、
たとえば、「鬱は甘え」というような、
なんの根拠もないインチキなデタラメは、
少なくなっていくはずなのだろう。
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