「既読スルー」という言葉に対しての批判
実は、LINEというものをあまり使ったことがなかったのだけれど、使いだしたのは、ここ3~4年くらいだろうか。
もともと「既読機能」は、東日本大震災をきっかけにLINEが災害時にすぐに返信ができない状況でも「既読」になったことで安否確認ができるという目的のためにつけられた機能なのだそうだ、本当かどうかは知らないが。
この「既読」が付く機能が、「既読スルー」という言葉を生んだらしい。
この「既読スルー」がよーわからんのである。
もちろん、LINEを使う前から、テレビで見てそういう言葉があるのだということは知っていたが、主に中高生の間で使われていた言葉が語源なのだろうという認識をもっている、よーわからんが。
私が、中高生のころは、携帯電話で文字のやりとりをするときは、メールであった。
当然、当時のメールには、既読を確認する機能がないので、基本的に、読んだら1日以内に返事をするものというような習慣があったり、返事がくるまで次のメールは送らないというようなルールというか、習慣はあった。ので、まぁ「既読スルー」に近いような言葉は私の時代にも、あったにはあった。だが、その習慣も、いまとなっては、幼きころのよくわからん習慣だったなぁという思い出がある。
まぁ、ようするに、ハイテク機械を使った「文通」を私達の若いころはやっていたわけだ。
おそらく、この「文通」のような感覚が現代でも習慣としてあるので、
「既読スルー」という言葉が、現代の中高生の間で生まれたのであろうと思う。
まぁ、なにが言いたいかというと、学生がそういう感覚をもつことについては、
不思議は感じないということが言いたいわけなのだが、時代がかわっても
よーわからん習慣というのは、生まれてくるのだなぁということである。
たまに、社会人でも「既読スルー」されただどうのと言う人がいるのだが、
まぁ、おそらく冗談で言っているのだろうけれど、お前のLINEは「文通」か
と思ってしまうことがあるのである。
おそらく、わたしが、携帯電話の「文通」文化から脱出したのは、
Skypeというソフトを使うことが多かったことが理由だったり、
交際した女性が、LINEを使っていなかったせいもあるのだろうと思う。
Skypeの場合、携帯でもつかえたが、スマホにSkypeをインストール
している人は稀であったので、24時間、どこにいてもみれるものでは
ないということもあり、「文通」のようなルールはなかったということや、
LINEや、キャリアメールのように、パーソナリティなものとしての
認識がなかったので、純粋な連絡ツールの域を出なかった。
パーソナリティなものとしての認識がなかったというのは、私書箱的な
その人に宛てて送るモノではなかったという意味である。
電子メールで言うと、いわゆる、キャリアメールとのようなものではなく、フリーメールアドレス的な位置付けであった。という意味である。
もともと「既読機能」は、東日本大震災をきっかけにLINEが災害時にすぐに返信ができない状況でも「既読」になったことで安否確認ができるという目的のためにつけられた機能なのだそうだ、本当かどうかは知らないが。
この「既読」が付く機能が、「既読スルー」という言葉を生んだらしい。
この「既読スルー」がよーわからんのである。
もちろん、LINEを使う前から、テレビで見てそういう言葉があるのだということは知っていたが、主に中高生の間で使われていた言葉が語源なのだろうという認識をもっている、よーわからんが。
私が、中高生のころは、携帯電話で文字のやりとりをするときは、メールであった。
当然、当時のメールには、既読を確認する機能がないので、基本的に、読んだら1日以内に返事をするものというような習慣があったり、返事がくるまで次のメールは送らないというようなルールというか、習慣はあった。ので、まぁ「既読スルー」に近いような言葉は私の時代にも、あったにはあった。だが、その習慣も、いまとなっては、幼きころのよくわからん習慣だったなぁという思い出がある。
まぁ、ようするに、ハイテク機械を使った「文通」を私達の若いころはやっていたわけだ。
おそらく、この「文通」のような感覚が現代でも習慣としてあるので、
「既読スルー」という言葉が、現代の中高生の間で生まれたのであろうと思う。
まぁ、なにが言いたいかというと、学生がそういう感覚をもつことについては、
不思議は感じないということが言いたいわけなのだが、時代がかわっても
よーわからん習慣というのは、生まれてくるのだなぁということである。
たまに、社会人でも「既読スルー」されただどうのと言う人がいるのだが、
まぁ、おそらく冗談で言っているのだろうけれど、お前のLINEは「文通」か
と思ってしまうことがあるのである。
おそらく、わたしが、携帯電話の「文通」文化から脱出したのは、
Skypeというソフトを使うことが多かったことが理由だったり、
交際した女性が、LINEを使っていなかったせいもあるのだろうと思う。
Skypeの場合、携帯でもつかえたが、スマホにSkypeをインストール
している人は稀であったので、24時間、どこにいてもみれるものでは
ないということもあり、「文通」のようなルールはなかったということや、
LINEや、キャリアメールのように、パーソナリティなものとしての
認識がなかったので、純粋な連絡ツールの域を出なかった。
パーソナリティなものとしての認識がなかったというのは、私書箱的な
その人に宛てて送るモノではなかったという意味である。
電子メールで言うと、いわゆる、キャリアメールとのようなものではなく、フリーメールアドレス的な位置付けであった。という意味である。
交際していた女性がLINEを使っていなかったというのは、よくわからんが、年上の女性とつきあうと、当時の彼女たちはあまりLINEを使っていなかった、仕事がデキル女性は、プライベートでも、ビジネスと同じように、SMSで連絡をとっていたようである。なので、1通1円なりかかるSMSなので、そんなにメールはしなかったし、携帯電話に電話する感覚でメールを打つわけなので、返事がこなくても、忙しくて携帯に出れないのだろうなという感覚で悪い気はしなかった。長いこと返事がないなと思っていても、「文通」のように、返事がくるまで、次のメールを送ってはいけないという習慣もなかったので、返事がなくてもメールを送ると1~2分で返事が返ってくることがあったり、とくにメッセージの返事の有無でもめることはなかった。とにかく、大人の女性は、そういうスムーズなコミュニケーションをするんや、と思っていたし、そのコミュニケーションは清潔であった。
というわけで、LINEは、あまり使っていなかったのだが、LINEをインストールしていないとなると、連絡がとれないじゃないかと言われることが多くなってきたりしたので、LINEも最近は使うようにしているのだが、このフリーメールアドレスよりは、パーソナリティなものではあるが、携帯電話の番号よりは、パーソナリティなものではないという、中途半端なツールのコミュニケーションルールは、あまり清潔でないし、いまのLINEが主流な世の中は生きづらい。
本当に連絡をとりたいと思うのであれば、携帯電話の番号を交換して欲しいし。
本当に友達になりたいと思うのであれば、Facebookで友達登録して欲しい。
というわけで、LINEは、あまり使っていなかったのだが、LINEをインストールしていないとなると、連絡がとれないじゃないかと言われることが多くなってきたりしたので、LINEも最近は使うようにしているのだが、このフリーメールアドレスよりは、パーソナリティなものではあるが、携帯電話の番号よりは、パーソナリティなものではないという、中途半端なツールのコミュニケーションルールは、あまり清潔でないし、いまのLINEが主流な世の中は生きづらい。
本当に連絡をとりたいと思うのであれば、携帯電話の番号を交換して欲しいし。
本当に友達になりたいと思うのであれば、Facebookで友達登録して欲しい。
いつでも、連絡できるし、いつでも関係を切れるようなLINEのみの関係という状態だから、大人になっても「既読スルー」などということを気にするのだと思う。いつでも関係を切ることができるから、恐怖感から返事が来ないのを恐れるのであろう。
最近は、「未読スルー」なる言葉も生まれてきているそうだが、どこまでいくのかと思う。
まぁ、思春期の子供の場合、スルーされることはものすごくつらいことなので、学生たちの文化まで、批判するつもりはないが、社会人になれば、スルーされることも、スルーすることも増えるし、それが相手との関係を切りたいからではないのだという事も経験するだろうから、ある程度の年齢までいって大人のマターで「既読スルー」という言葉は、下賤な習慣であると批判しておくことにする。
最近は、「未読スルー」なる言葉も生まれてきているそうだが、どこまでいくのかと思う。
まぁ、思春期の子供の場合、スルーされることはものすごくつらいことなので、学生たちの文化まで、批判するつもりはないが、社会人になれば、スルーされることも、スルーすることも増えるし、それが相手との関係を切りたいからではないのだという事も経験するだろうから、ある程度の年齢までいって大人のマターで「既読スルー」という言葉は、下賤な習慣であると批判しておくことにする。
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