首相公選制を憲法改正なしに実現する方法を考えてみた。

さて、憲法改正なしに首相公選制を取ることはできない。というのは、
結論のでた回答であり、それに疑問を持つのは、
赤ペンギンひとりくらいなものかもしれない。

たしかに、この
「憲法改正なしに首相公選制を取ることはできない。」
という結論は、首相公選制推進派にすれば有利な回答である。
首相公選制を掲げる民意が高まり国政に反映されて、
いざ国会で憲改の強行発議やむなしの局面を迎えた場合に、
少数派が「憲法改正に反対」という立場をとったとする、
しかし、その場合に「改憲反対派が反対する正当な理由」がなくなってくる、
あなたたちも参加した議論の中ですでに、憲法を改正しなければ首相公選制に
することができないという結論がでたにも関わらず何故反対するのか?
首相公選制に反対するということであれば話し合いに応じれるが、
改憲に反対ということでは応じられない。必要な憲改は行うという一応の結論は、
でたのではないのか?という事で審議拒否をすることができる可能性が出る。

赤ペンギンは、憲法を聖書のように崇めていると、誰かに思われているかもしれないが、
私は、現行憲法の完成度の高さを評価している、芸術であるとも言えるほどの完成度だ。

第十章 最高法規
第九十七条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

日本国憲法の第97条は、とくに素晴らしい規定であると考えている。
憲法制定までの歴史の概略は、初等教育で誰もが学習したことだろう、どうだろうか?
戦前の苦労がどれほどのものだったかということを、私たちはよく知らされている。
日本の国の憲法は、その戦前や戦後の憲法制定までの苦労を
「自由獲得の努力の成果」「過去幾多の試錬」と明記している、
私のお爺ちゃんやお婆ちゃん、ひいお爺ちゃん達は、けして馬鹿ではなかったと思う。
お爺ちゃん達が、この第97条の条文を読めば、必ず孫の世代の事を考えたことだろう。
「わしらの苦労を努力の成果とか試練とかいう言葉を使って押し付けるなら、それ相応の内容でなければ。ましてや、息子や孫やその先にまで託したものとまで書かれている。」
そう考えれば、滅多なことを書いているような憲法であれば、絶対に許さなかっただろう。
私の、お爺ちゃんは、学歴はなかったが、馬鹿ではなかったし、
それなりに賢かったし、真面目な人だった。そんな、私達のお爺ちゃん世代が、
私達が首相公選制を言い出した時に、わざわざ改正しなければいけないという手間を
残していったとは思えない。なにか、方法があるはずだ、と確信する。

そこで、いくつかの方法を考えてみたが、三権分立を考えると説明がつかないことが、
いくつかでてくるので、なかなか難しかった。うむ、、、。
私の言う首相公選制、というものは馬鹿げた発想だったのだろうか??
たしかに、内閣総理大臣を直接選挙で選ぶことは改正が必要ではあるが、
それに近いかたちで実現する方法はないだろうか?という意味なのだけれど、、、。

たとえば、大選挙区でもって衆議院の議員定数を1名にして、
参議院が首班指名すればいいのでは?
ということを考えるのである。もしくは、衆議院議員の定数を1名にして、
総理大臣は参議院議員から選べば、大統領制と議院内閣制の両方が両立する。
総理大臣は衆議院に解散権をもち、衆議院は総理大臣に対する不信任決議権を持つ。
これならばどうだと考えてみたが、「議長がいないと駄目」ということになった。
なぜなら、第42条の言う「議院」なのだろうかということになるのである。
なおかつ、第98条2項で考えてみてもおかしい。国際的一般常識で考えてみて、
そんな上院議院なんてありえるのだろうか??という結論に至った。

うむ、、、。

しかし、憲法改正をともなう首相公選制であると、場合によれば
憲法第1条で定めるものと似た「象徴」がダブルスタンダードとして登場してしまう、
そんな滅相な改正案など否決してしかるべしではないだろうか。
私は、憲法改正を行わなくても可能な首相公選制を考えてみたりする。



                                つづく、、、、。

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