『何故、日本はこんなに恋愛をしにくい国になってしまったのか』
メモ
女性の社会進出の困難さの影響で、恋愛の自由意思に一定の制限ががかかる、
たとえば、年収300万円同士のカップルが結婚を考えたとしても、
子供ができてしまうと、女性は一時的に仕事ができないような状況になる
ケースも多々あり、そう考えると男性側の年収ができる限り高い環境を望む
ということが作用的に発生したりするのではないか。この場合、
世帯収入で考えると、男性側に持続的に年収600万円ある環境が最適になってしまう。
リスナーコメント
「育児後の手当が行き届いてなかったり、育休に対して関心が薄いどころか嫌悪感を抱かれたりするのが日本のダメなとこ」
戦後の工業化にも念頭をおくと、輸出産業を強くするために工業分野の
研究開発に重点が置かれたが、恋愛や自由思想などの文化的土壌はおざなりで、
工業は進歩したが、倫理的な点においての文化的な進歩は立ち遅れたしまったのではないか。
東京都議会のセクハラ野次騒動「結婚しろよ」という野次にもあらわれているように、
年配の男性や、一部の男性が考えている「結婚」の価値観と、
多くの女性や若者が抱いている「結婚」の価値観には大きく隔たりがあるのでは
ないだろうかと思う。
恋愛は、法的には自然権の一部と考えられるが、それを完全に保障することは
難しいとしても、自然権を社会という仕組みの発展を優先して蹂躙するような
国のまでよいのかという懸念を、少なくとも私はもっている。
日本の国民幸福度は低いとされているが、機械産業に頼り、拝金主義まがいの
経済体質から、哲学や健全な文学の発展にも力をいれるべきではないかと思う。
無論、拝金主義まがいの世俗から、恋愛や結婚について、
必要な日常のプロセスをはぶいて、いかに女性をホテルに連れ込むかというような
微妙な恋愛観が蔓延してしまったりしているのも、哲学や健全な文学の発展が
立ち遅れていることが関係しているのではないかと感じる。
(青少年への援助交際などといった、ことも蔓延し、いまも存在している。)
ただし、昔から比べたら自由恋愛や結婚はしやすくなったわけであり、
(日本書紀の時代は、家同士の縁組話ばかりで、自由恋愛というものは少なかった)
あまり、恋愛や結婚というものに、到達不可能な理想をもつのも無理が
あるかもしれない。ということも付け加えてみる。
しいて、付け加えると。人であるからには恋愛感情や交友関係、
交際関係を発展させていくことはごく自然なことであり、
そういう、ごく自然なことができないもしくは否定されてしまうと、
人としての存在や尊厳を否定されてしまうことになるのではないだろうか。
以上、別段深い意味をもたせるつもりはない。
http://com.nicovideo.jp/community/co356062
女性の社会進出の困難さの影響で、恋愛の自由意思に一定の制限ががかかる、
たとえば、年収300万円同士のカップルが結婚を考えたとしても、
子供ができてしまうと、女性は一時的に仕事ができないような状況になる
ケースも多々あり、そう考えると男性側の年収ができる限り高い環境を望む
ということが作用的に発生したりするのではないか。この場合、
世帯収入で考えると、男性側に持続的に年収600万円ある環境が最適になってしまう。
リスナーコメント
「育児後の手当が行き届いてなかったり、育休に対して関心が薄いどころか嫌悪感を抱かれたりするのが日本のダメなとこ」
戦後の工業化にも念頭をおくと、輸出産業を強くするために工業分野の
研究開発に重点が置かれたが、恋愛や自由思想などの文化的土壌はおざなりで、
工業は進歩したが、倫理的な点においての文化的な進歩は立ち遅れたしまったのではないか。
東京都議会のセクハラ野次騒動「結婚しろよ」という野次にもあらわれているように、
年配の男性や、一部の男性が考えている「結婚」の価値観と、
多くの女性や若者が抱いている「結婚」の価値観には大きく隔たりがあるのでは
ないだろうかと思う。
恋愛は、法的には自然権の一部と考えられるが、それを完全に保障することは
難しいとしても、自然権を社会という仕組みの発展を優先して蹂躙するような
国のまでよいのかという懸念を、少なくとも私はもっている。
日本の国民幸福度は低いとされているが、機械産業に頼り、拝金主義まがいの
経済体質から、哲学や健全な文学の発展にも力をいれるべきではないかと思う。
無論、拝金主義まがいの世俗から、恋愛や結婚について、
必要な日常のプロセスをはぶいて、いかに女性をホテルに連れ込むかというような
微妙な恋愛観が蔓延してしまったりしているのも、哲学や健全な文学の発展が
立ち遅れていることが関係しているのではないかと感じる。
(青少年への援助交際などといった、ことも蔓延し、いまも存在している。)
ただし、昔から比べたら自由恋愛や結婚はしやすくなったわけであり、
(日本書紀の時代は、家同士の縁組話ばかりで、自由恋愛というものは少なかった)
あまり、恋愛や結婚というものに、到達不可能な理想をもつのも無理が
あるかもしれない。ということも付け加えてみる。
しいて、付け加えると。人であるからには恋愛感情や交友関係、
交際関係を発展させていくことはごく自然なことであり、
そういう、ごく自然なことができないもしくは否定されてしまうと、
人としての存在や尊厳を否定されてしまうことになるのではないだろうか。
以上、別段深い意味をもたせるつもりはない。
http://com.nicovideo.jp/community/co356062
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