うつ病や障害者の自立について新たに言いたいこと
うつ病のような状態になったことがある経験で語ると「うつ病になったときに病院に行けないのを知ってほしい」という言葉が出てくる。病院に普通に行ける程度のうつ病なのであれば、多くの場合において緊急的もしくは可及的速やかな治療は必要ではないと思う。『病院に通院する=ある程度の日常生活ができる状態』。問題は、私もそうだったが病院に自力で通院できないくらいの うつ病の時に できることがあるのかということなんだ。『病院に自力で通院することができない=日常生活ができない状態』になると本当に悲惨なんだ。救急車を呼んでも運んでくれるのだろうか??
うつ病などの精神疾患は嘘がつけるという理由で厳しい目を向けられているのは知っている。もちろん、そんな嘘をつかれたらたまったものではないのは理解できる。かといって、本当に精神疾患になってしまった人が必要な治療を受けられなくならないようにするということも必要だと言いたい。
次に、障害者の自立についてだけれども、私は子供をつくるのであれば、もし息子や娘がなんらかの疾病を抱えてしまっても私が生涯を保障できるくらいになるまで子供はつくらないようにする責任があると考えている。その責任がとれないのであれば、子供をつくる資格がないと考えている。私は、こういう考えだが、他の人は、とくに何も考えてなかったり、私とは真逆の考えの人もいるだろう。では、「子供が多少の障害をもって生まれてきても社会保障でなんとかなるだろう」と考えて子供を作った人はどうなるだろうか?近年、障害者の保護から自立という方向へ向かって久しいが、「子供が多少の障害をもって生まれてきても社会保障でなんとかなるだろう」と考えていた人の意見はとりいれたうえでの方針転換なのだったのだろうか?たしかに、人として生まれてきたからには自立した生活をおくることが幸せなのだろうと私も思う。しかし、自立という言葉が、自己責任論のように、責任転嫁の道具のように過度に使われないようにする必要もあるということを忘れるべきではないと考える。怠けられてもこまるが、理不尽な目にあわれても困る。そして、知的障害者や情報弱者のなかには世の中が保護から自立の方向へ方針転換したということを知らないひとだっているだろう、そういう人にそれを知ることができる状況の構築も必要だと言いたい。
とても難しい課題だが、関係者の努力による現状のさらなる進歩を強く期待する。
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