なぜ、日本の憲法は改正されないのだろうか?

少ない学識(数冊の本をかじった程度)の知識で知る限りは、憲法史として近代的な憲法が成立した課程には、王権を制限して市民の権利を守るものとしてできあがってきた歴史があるということを考えて、その憲法の性質を積み上げてきた原動力はなにかということに少し思いふけってみた。憲法の授業を受けるときに最初に釘を刺される場合もあるかもしれないが、結局近代憲法が成立した歴史としては、王様や政府からブルジョア階級が自分の権利を守るために革命をへて成立してきたわけである。アメリカの独立運動も、イギリスからの重税に反発して成立した経緯も考えると。つまりは、「お金」がいかに守られるかが、国や政府や憲法の成立に大きく影響していると言えるのではないだろうか?

憲法とは自由の基礎法であり、人権を保障する法規なわけだけれども、人権とは何かということを考えると、「人権=その時代ごとにその時代の人々が、国家という組織の中で人間として生きていくために必要なもの」だと考えるわけです。

まぁ、生きていくために、働いた分のお金は守られなければいけないので、財産権も基本的人権として保障されているわけですが。

9条教などとレッテルを貼られる平和主義者がいても、そこから「自衛隊も含めた戦力は保持しない」だとか「自衛権も含めた戦争を放棄する」といった、憲法改正案は彼らからは主張されていない。

自衛隊を明確に合憲にするために、9条の2項を改正しようという主張は強く一部であがっているが、本格的な議論の着手にはいたっていない。

これらは、なぜなのだろうか?

最初に述べた憲法の歴史を考えると、日本の政府が日本のブルジョアを弾圧するような政治を行ってこなかったことで、欧州・欧米型の革命が起こってこなかったのではないかと考える。(江戸時代でも公家の権利は守られていたし、明治憲法でも貴族や華族の権利はかなり守られていた、2つの時代ともペリー来航や敗戦という外的要因で実質的意味の憲法が書きかえられている)

グローバル的に考えても、世界にある実質的意味の憲法は「資本主義から修正資本主義」へと書きかわってきたが、それは、世界恐慌というブルジョアにとっての危機からの改革であったと感じる。

つまり、今の日本のブルジョア階級からクレームがつかない限り、これから先も日本の憲法は改正されていかないのであろうなと予見してみるわけである。(フランス革命のマネをして、どんなに集会やデモを起こしても無駄なのかなという発想もあると考えてみたわけである。逆に言うと火炎瓶を投げたり座り込みデモをしても現行の憲法を守ることはできないのだろうなと思考してみたのである。)

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