税制度について抽象的に頭の中にあるものを書き出してみた
もしかしたら、こういう構図なのかなと考えてみたけれども、どうも歯切りが悪い。たしかに、中世とか暗黒時代のころに比べれば絶対王政でもなければ封建制度でもなくなってきているので、今の政治体制は良くはなってきているのだろうけれども、はたしてどうだろうか??
実際のところ、こういう感じじゃないかと。だいたい、立憲主義とか議会制民主義とかについて、すべての有権者が理解しているかというとそういうわけでもなく。私自身もよくわかっていない。そんな人の意見も混ざった民意にたいして、この図で書くようなパターナリズム側からすれば「わかってない人のいうことなど無視」というロジックも働く可能性もあるかもしれない。 講義などで、今の国という機関は人権や自由を守るために王政に代わってつくられたシステムであって、その運営資金は税金という国民の負担で賄われているというような授業を受けた。たしかに、諸外国の場合では、王政が市民階級を弾圧したり、奴隷階級まで追い詰めたりという経緯から革命が起きて王政が倒されて、憲法を制定して民主主義国家をつくっていったのだと思う。しかし、日本の場合は、明治憲法の場合は鎖国から開国を迫られた歴史と、現在の日本国憲法は第二次世界大戦の敗戦という歴史と、両方ともどちらかというと外圧的な作用で憲法がつくられていった。日本の憲法の目的は事実的には「他国に負けない国造り」「二度と戦争を起こさない野蛮な国にならない国造り」が目的となっていて、自分たちの自由や人権を守るためのシステムとしての目的が希薄なのではないかと感じる。人権の話をしたりすると変人扱いされたり左翼扱いされたりすることを考えると、そうではないかなぁと思う。もちろん、安全保障のことを言いだしても変人扱いされたり右翼扱いされる場合もあるけれど。まぁ、そういう日本という国の実際をいちおう前提において税の話にもどすわけだけど。 国の運営に必要な莫大な資金は、税金で国民が負担をするわけなのだけど、『日本の国機関の運営目的って何?』というところから議論しはじめると面白いのではないかと思う。税負担の目的が「野蛮な戦争をふっかけずに他国に負けない国を造ること」なのか、「個人の人権(財産権を含むあらゆる人権)を守るためのシステムとして国という機関を維持するため」の税負担なのか、とか。『税とはそもそも何か?』に立ち返ってみたほうがよい気がする。だがしかし、仕事で忙しい一般市民にそこまで難しいことを考える余裕が経済的にあるかというと、無いだろうと思う。とりあえず、そういうことも必要な範囲内で考えられる生活が最低限保障される日本であってほしいと思う。過当競争で狂って病んでいる社会の病理はいつ癒されるのだろうか。
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