憲法改正について つらつらと書いてみる

自衛隊が違憲かどうか、集団的自衛権の行使についてや、
公の支配に属さない学校法人への補助金や、同性婚についてどうなるのか、
といったように、いろいろあるわけだけれども。

憲法9条で日本の軍隊を解体したあとに、自衛隊までいった流れや、
9.11の後に自衛隊がイラク戦争の米軍の燃料を運んだり、
安倍政権で集団的自衛権の限定的行使容認の解釈論 等、
必要性や大義名分があれば、憲法の文言は良いようにその場その場で
いいように扱われてきた。
砂川事件や、イラク戦争では平和的生存権の訴訟、
いずれにしても、裁判所は憲法判断を避けてきたと思う。
集団的自衛権の限定的行使容認の安全保障関連法についても、
伊藤真さん等々が訴訟を起こしている。

9.11の後の時のように、大義名分や世論の後押しがあれば、
裁判所の判断回避を期待して、今後もいいように憲法の条文を扱うことはあると思う。
たとえば、大義名分や世論の後押しがあれば、仮想敵国のミサイル基地へ攻撃を
しかけたりといったことができたり、徴兵制じみたシステムを敷くことが
ありうるかもしれないと思う。思うというか不安は感じる。
そういう不安があるうちは、パーフェクトな憲法ではないのだと思う。
戦争は終わったと言えるかもしれないけれど、それでも戦争の傷やわだかまりは
引きずったままになっている、各地でおきている紛争なんてのは、
人類が始めた古代からの戦争がまだ終わっていなくて、
その傷やわだかまりを引きずっているからなのだと思う。
だけど、仮に戦争が終わっていないと考えたとして、この先も続けるのか?
もし戦争がまだ終わっていないというのであれば、そろそろ終わらせたい。

そんなことを、考想しながら、憲法改正の議論を眺めている自分がどこかにいる。

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