小論文 「私の生きづらさ」 -発達障害ー

小論文 「私の生きづらさ」
私は、アスペルガー障害です。
私は、精神障害者に対して差別意識があり、
偏見をもっていたので、自分がその精神障害者で
あるということを受け入れられませんでした。
自分の精神疾患を受け入れてかれこれ、8年近くになります。
発達障害という障害を告げられた時には、
俗に言う、アダルトチルドレンのようなものなのかなと、
自分の障害に対して軽い認識でいました。
しかし、書籍やWEBなどで、発達障害がどういう病気なのか
ということを知ってから、自分の認識が甘いことに気づきました。
いろいろと、医学的に言われている話をいままでの自分に
あてはめてみて、人間関係がうまくいかなかった理由や
日常生活で、うつ病にでも罹ったかのようなしんどさを
感じていた理由も、わかるようになりました。
そして、医学的な知識が深まると、自分が友人を恨んだり、
自分の人生がうまくいかなかったことを環境のせいに
していたことが勘違いであることが、わかるようになりました。
障害特性が故に生じた勘違いだったのです。
何年も苦しみました、自分が抱えている感情が
障害特性が故に生じているものなのか、
それとも、正常な思考によるものなのか、
自分の内面に自信がもてなくなったのです。
とても苦しみました。
そして、この苦しみを理解してもらうことが、
不可能に近いほど難しいのではないかという
現実を思い知ることになりました。
外見上は、普通の人だし、話していても
違和感のない普通の人だと捉えられて、
私の障害に中々気づいてもらえません。
同じ障害を持つ人たちで集まる自助会に、
参加して、同じ障害をもつ田中君という人と
話をする機会があったのですが
私は、田中君が発達障害であることが
理解できません。外見からでは理解できないのです。
本当に、普通の人だし、話していても
違和感のない普通の人なのです。
同時に悲しくなりました、
田中君が私に何かを伝えていても、
おそらく、田中君が本当に伝えたいことは
私には伝わっていないのだなと。
極端に言えば、
田中君はリンゴが食べたいと
伝えているのに、
私にはバナナが食べたいと
伝わっているのだな
ということがわかるからです。
周囲とうまく意思疎通ができないので
社会のメインストリームに、
参加するチャンスが無い。手段が無い。
社会のメインストリームに参加できない
というのは、娘に理解してもらえない父親
のような状況の、ものすごく辛いヴァージョン
という表現をすれば、意味が伝わる可能性が
あるかもしれませんが、
それ以上の うまい表現がみつかりません。
私と田中君は、人生を楽しめません。
みんなは、社会のメインストリームで
楽しそうに、幸せそうにしているのに、
私と田中君は、その幸せに近づくチャンスすら
ないのです。手段がないのです。
これが、私の生きづらさです。


0コメント

  • 1000 / 1000